白井貴子のロックしていた時代:事務所独立と持ち続けた思い

音楽

1980年代のアイドルとして脚光を浴び、その後、多才な才能を活かして様々なジャンルで活躍してきた白井貴子。彼女の芸術への探求は、常に自己更新を求める姿勢から生まれた。特に、彼女が事務所から独立した瞬間は、新たな表現の可能性への扉を開く重要な転機となった。この記事では、白井貴子のデビュー前からロックしていた時代、そして彼女の音楽性を集大成するまでの過程を紐解いていきます。

ロックバンド結成まで

デビュー前

白井貴子は子どもの頃から、ピアノを習い音楽に親しんでいます。少女時代に一緒に住んでいた叔父はビートルズの大ファンです。後に「ロックの女王」と言われる環境は出来上がっていたようです。

裕福な家庭に育った彼女はフェリス女学院に入学し、同音楽科を卒業します。普通の家庭のお嬢様的な環境で過ごした時期が彼女の親しみやすい雰囲気に現れているようです。歌手になりたくて学校を中退し上京したような、ありがちなストーリーとは異質のものを感じます。

ロック歌手ヘ

1981年念願のデビューをはたします。当初は佐野元春のバックコーラス「プリティフラミンゴス」の一員でした。翌年には佐野元春のヒット曲「SOME DAY」をカバーしています。

キュートなイメージでデビューするも次第にロックに傾倒し「白井貴子&CRAZY BOYS」を結成します。この頃には学園祭のクイーンと呼ばれ日本武道館などで大きな会場でも成功を納めました。

当時の風潮は女性とロックは相容れないものがありました。そんな中ヒット曲「CHANCE」生まれます。

自身の音楽性を求める

事務所独立

ヒットを前提としたビジネスライクな音楽業界と自身との軋轢が限界にきており、ミュージシャンとしての自分を見つめなおすために1988年には、所属事務所を去り『CRAZY BOYS』のリードギター本田清巳と共に渡英しています。帰国後、それまでのロックミュージシャンとしての活動とは違い、ポップス色を強めた楽曲が増えていきます。

1993年、本田清巳と結婚。やがてポップス色の強いものからさらに、変化し、ミニライブでは、本田のアコースティックギター1本で歌うことが増えました。こうした活動は、2006年に『CRAZY BOYS』が復活するまで10年あまり続くことになります。

白井貴子&THE CRAZY BOYS 25TH ANNIVERSARY ~NEXT GATE 2006~(CD+DVD) [ 白井貴子&THE CRAZY BOYS ]

自身の原点ロックへ

1999年には個人事務所も立ち上げています。同時期、白井個人のレーベル「ROD」からのアルバム『LIVING』を発売。事務所社長は夫の本田清巳が務めました。

2006年、ベスト・アルバム『NEXTGATE 2006』を発売。その後、『TAKAKO & THE CRAZY BOYS』として本格的にバンド活動再開。『LIVING』の発売の前後は白いTシャツにジーンズという衣装でしたが『TAKAKO & THE CRAZY BOYS』名義での活動時には、1980年頃活動時に着用していたデニムのミニスカートをはいています。当時の気持ちを持ち続けると同時に、衣装も大切に保存されていました。

※広告 ロリポップでブログをはじめる

Flower Power

2023年「ミュージックモア 2023 スプリングコンサート」に出演。共演者は山下久美子、相川七瀬など同様の女性ロックシンガーでした。11月1日、1985年発売のアルバム『Flower Power』をリマスター&リカッティングしたアナログ盤(LPレコード)を再発売しています。白井貴子&THE CRAZY BOYS名義での初のアルバムとなります。


「Chance!」を始めとした全10曲は白井貴子作詞、作曲、そしてTHE CRAZY BOYSのメンバーと共にヘッドアレンジを行い、自らがプロデュースを手がけています。
当時のアルバムを最新リマスター&カッティングのアナログ盤で再発した手法は、画期的なものであるとともに白井貴子のロックしていた時代から持ち続けた思いの集大成ではないでしょうか?

タイトルとURLをコピーしました