かつて昭和の時代を彩ったミュージシャン、小室等。彼の新たなユニット「まるで六文銭のように」が、かつての仲間たちを再び集める場となりました。
背景には、小室等自身の深い郷愁と、過去への思いが込められています。どのような経緯でこの豪華なメンバーが集結したのか、その過程もまた、昭和を知る多くのファンにとって大きな関心事となっています。
この記事は、「出発の歌」世界歌謡祭グランプリに輝いた六文銭の三人のメンバーが再結成したともいえるバンド「まるで六文銭のように」に昭和の仲間が集まった過程を私独自の視点で考察しています。
六文銭
世界歌謡祭
初代の六文銭は1968年に小室等が中心となり結成されました。1971年上条恒彦と共演した曲「出発の歌」はご存知ですね。「 第二回世界歌謡祭 」でグランプリを獲得しています。
最盛期の主なメンバーに及川恒平、四角佳子などがいました。グランプリ曲「出発の歌」は及川恒平作詞によるものです。初期にはギタリストの石川鷹彦も参加していました。
グランプリの経緯
「 第二回世界歌謡祭 」の選考会となる「第三回合歓ポピュラーフェスティバル」には小室等のいる「六文銭」と上条恒彦は別々にエントリーする予定でした。ところが、共に曲を提供される予定が当日までに一曲しかできあがらず急きょ上条恒彦プラス「六文銭」として参加します。
曲全体も前日になってやっと出来上がったものですが、見事グランプリをとります。ちなみに、当大会には「赤い鳥」「トワエモア」などそうそうたるメンバーが参加しています。

その後、少しの編曲を加え「第二回世界歌謡祭」グランプリ獲得となります。
まるで六文銭のように
再出発
六文銭から新六文銭を経て、2000年新しいユニット「まるで六文銭のように」が発足します。小室等、及川恒平、四角佳子の三人が「六文銭」時代の曲を歌ったことがきっかけでした。約30年ぶりにかつての、メンバーで再出発をはたします。

2009年には小室等の娘 こむろゆい が加入しユニット名を「六文銭’09」に改めています。学生時代に「PPMフォローワーズ」を結成し現在に至る小室等の才覚には改めて逸材であることを感じさせます。
昭和の仲間
「まるで六文銭のように」の活動の原点はかつてグランプリを獲得した昭和の良き時代を懐かしむかのような響きがあります。2018年行われた高畠収穫祭のフィナーレには同時期活躍した白井貴子も中途から参加します。
いまでは、グランプリに輝くような成果はないにしても、地道ながら永く歌っていこうとゆう姿勢が感じられます。今の方向性には、ファンだけでなく当時活躍した音楽仲間も共鳴し自然と集まってくるユニットとしての魅力がるのではないでしょうか?
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