りりィの「私は泣いています」:ベースの弾き語りから感じる魅力

音楽

「私は泣いています」を切々と歌うりりィには聞き手を引き付ける独特の雰囲気があります。リリィが醸し出す雰囲気は彼女の生い立ちから生まれたものではないでしょうか?アーティストとして曲作りをしながら、女優としても活動しています。この記事では、単なる女性シンガーの枠にはおさまらないりりィの魅力を書いてみました。

「りりィ」はあだ名

弾き語り時代

10才で家族とともに上京したりりィは東映の児童劇団に所属します。このとき父な亡く、子役として活動するも17才で母も亡くします。生活のためスナックで弾き語りをはじめした。芸名の「りりィ」はあだ名としてつけられたものです。まるで、映画のストーリーにあるような境遇に彼女の宿命的なものを感じませんか?

ちなみに、りりはひらがなでは小文字のカタカナです。自身でなんとなく決めたらしいのですが何とも彼女らしさを私は感じます。

歌手と女優

才能ある彼女は歌手として、また女優として活躍します。正式なデビュー前から「レーニア」名義で下田逸郎のアルバムに参加し、楽曲「ひとりひとり」でリードヴォーカルを努めました。この頃はいわゆる美声で歌っていました。後にハスキーで喉に詰まったような歌声となるのは大好きなお酒が原因です。

20才になってから東芝よりアルバム「玉ねぎ」で正式な歌手デビューをします。同時期に荒井由実、五輪真弓など後のビッグアーティストがデビュ-します。

並行して女優業も続けたリリィは大島渚監督の「夏の妹」に出演し桃子役を努めます。共演者は石橋正次、栗田ひろみ等でした。

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私は泣いています

ヒットの背景

1974年「私は泣いています」が大ヒットします。彼女の作詞作曲によるものですが、原曲は趣味で作った英語歌詞の「アイム クライイング オン ザ ベッド」とゆう曲だったとのこと。

当初、研ナオコに歌ってもらうつもりでいたのですが、仕方なく彼女が歌うことになりました。才能にあふれ、行動に余裕さえ感じられます。

研ナオコ - 私は泣いています
2020年研ナオコデビュー50周年記念第1弾企画「私は泣いています」2019年5月1日リリース「私は泣いています」は、りりィがデビュー前に私のために作ってくれた曲です。ギター1本で歌ってくれたのを聞いた時、彼女にぴったりな曲だったので、りり...

才能は引き継がれ息子JUONも音楽活動をしていました。JUONは「ドリカム」の吉田美和と結婚します。「ドリカム」のサポートに参加したことが縁らしいのですが、才能あふれるリリィと天才ヴォーカリスト吉田美和が義理の関係ながら親子となりました。不思議な縁ですね。

ゴールデン☆ベスト りりィ [ りりィ ]

ヒット以後の活動

YouTubeにアップされているリリィは何故かベースを弾いています。楽器をもって演奏するのであればギターと考えるのが自然です。さらに、彼女がもともとベーシストではないはずです。

今までにないイメージで売り出したい意図があるのかもしれませんが、何気なくベースを演奏してしまいます。

リリイ 私はないています(ベースでの弾き語り).mpg

そして、ハスキーな声で淡々と語りかけるように歌う彼女の醸し出す雰囲気は独特で、彼女の生い立ちと多才さからくるものではないでしょうか?

以後、活動は活発化します。バックバンドとして「バイ・バイ・セッション・バンド」を従え全国のライヴハウスを廻ります。ちなみにギタリストで一風堂でブレイクした土屋昌巳が参加しています。

1999年にはユニット「Lily-Yosi」を結成し同じく全国各地で活動を続けます。

音楽活動にとどまりません。「3年B組金八先生」では上戸彩とも共演しました。「救命病棟24時」では息子JUONと共演します。

まとめ

リリイの才能が多くのファンを魅了し続けていることは明らかです。彼女の音楽は、感情豊かな歌詞と独創的なメロディで幅広い層に支持されています。成功の背後には、彼女の生まれ持った才能と、生い立ちから醸し出されるものがあります。彼女のアーティストとしての活動は多くの人々に強い感動を与え、音楽業界に新たな風を吹き込んできました。

歌手としてとらえるならば「私は泣いています」が一曲のみヒットした印象ですが、歌手とか女優とかの枠にあてはまらず「りりィ」として才能を発揮できたと考えるのが自然です。

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