大黒摩季の生い立ちから大ヒットまで:自分の音楽の世界を突っ走る

音楽

大黒摩季、その名前は今や日本の音楽シーンに欠かせない存在となっています。この記事では、彼女の子供のころからデビューまでを彼女独特の世界観をもとに書いてみました。もともと、協調性はなく自分の興味のある音楽の世界には廻りを気にせず突っ走るでした。そんな彼女の成功を手にするまでの道のりは、決して平坦ではなく、大黒摩季は、数多くの挑戦と直面し、多くの障壁を乗り越えてきました。

この記事では、彼女が自身の気質を生かしつつどのようにして自分だけの音楽の道を切り開いたのか、私独自の視点で考察しています。

自分の音楽の世界

生い立ちと音楽

大黒摩季は幼いころより、興味のあることを黙々とやるような子供でした。マイペースで、廻りに合わせていくタイプではありませんでした。ピアノに夢中になり、買ってもらったレコードで洋楽のロックも聴くようになります。幼少の頃より音楽の虜になっていた様子がうかがえます。

なんと、小学生の頃既に作曲をしており、テレビでも音楽番組に夢中でした。ただし小学校ではとにかく集団行動が苦手で、休み時間は一人の時間を楽しむ子供で、中学入学後は、放課後の音楽室のピアノでよく一人で歌謡曲を弾き語りしていました。

15歳頃にはアレサ・フランクリンのレコードを聴いて衝撃を受け、ソウルミュージックにも惹かれます。中学の終わりになると、休日には様々なバンドのボーカルも始め、札幌のアマチュアバンド界隈では知られる存在となっています。当初高校卒業後の進路については音楽大への進学を考えていたのですが、実家の都合もあり、東京でプロを目指して自分で音楽の勉強をしようと上京します。

上京し下積時代へ

上京後は東京近郊にある叔母の家で暮らし、バイトしながらながらオーディションを受けたり、自作曲のテープをレコード会社に送ったりして過ごします。1989年には、オーディションに合格するも、勧められたのはコーラスでした。

下積時代が続き、アパートで曲作りをしながら、生活のためスーパーの品出しや交通整理などのバイトの日々を送ったこともありました。当時の主な音楽活動はB’z, ZARD、TUBE等のバックコーラスとなります。

大黒摩季の下積時代は、実力を磨くための重要な時期であり、彼女のアーティスティックな発展においても非常に重要な段階でした。当時彼女は、自らの音楽スタイルを確立すべく、下積生活の中で培われた豊かな表現力と独自の音楽スタイルは、後のプロフェッショナルな音楽活動の礎となっています。

デビューからの道のり

アメリカから帰国

しかし、歌手デビューは思うに任せずアメリカへ旅立つことになります。アメリカ滞在中、SILK(大森絹子)が歌い大黒が作詞・作曲した楽曲「STOP MOTION」に注目されます。これがきっかけで滞在先で社長から「歌手デビューの話が進んでいる」という旨の電話連絡を受け帰国、会社に復帰して活動を再開した。

1992年「STOP MOTION」で歌手デビュー、ドラマの主題歌となるもセールス的には成功しませんでした。しかし、同年、リリースした2ndシングル「DA・KA・RA」がCMのタイアップがつき問合せが殺到します。その後ヒットチャートを上昇し、初のミリオンセラーを記録します。

※ 画像はOKMusic より

【中古】 Greatest Hits 1991-2016~ALL Singles+~(STANDARD盤)/大黒摩季

念願の大ヒット

1995年「ら・ら・ら」が大ヒットし、その後出したアルバム「LA・LA・LA」以後も驚異的ともいえる売り上げにつながりました。しかし以下のようなエピソードもあります。

デビューしてから数年は大ヒットを連発しながらも露出を控え、メディア出演やライブ活動をすることは一切なかった。このため、当時は「謎のカリスマ歌姫」というような形容をされることも多かった。さらに「大黒摩季は歌手担当、写真で顔を出すモデル担当、作詞・作曲担当とそれぞれ3人いる」「大黒摩季はコンピューターで作られたもので実在しない」という噂まで飛び交います。

サポートが充実のロリポップ 広告

まとめ

大黒摩季の音楽キャリアを振り返ると、彼女の努力と才能が結実した成功の軌跡が浮かび上がります。北海道で過ごした幼少期、大学時代の音楽活動を経て、デビューを果たした彼女は、その独自の歌声と感情豊かな歌詞で瞬く間に多くの人々の心をつかみました。「ら・ら・ら」や「熱くなれ」などのメガヒットを生み出した90年代の彼女は、日本の音楽シーンに新たな風を吹き込みました。

彼女の楽曲には、どの時代にも共感を呼ぶメッセージが込められており、それが多くの人々に勇気と癒しを提供し続けている一因と言えるでしょう。常に前向きで進化を続ける大黒摩季の音楽は、これからも多くの人々の人生に彩りを加え続けることでしょう。彼女のこれまでの歩みに敬意を表し、今後のさらなる活躍に期待したいと思います。この記録は、彼女の音楽の魅力とその軌跡を改めて感じる良い機会となったのではないでしょうか。

後には、メディアに自身をさらけ出した大黒摩季ですが、しばらくマスコミへの露出を控えていた彼女の心の片隅には、少女時代の思いがそのままあったのではないでしょうか?決して周りと同調することはなく、ただ決心したら自身の道を突っ走る、そんな彼女の本来の気質が伝わってきます。

タイトルとURLをコピーしました