プロレスの魅力的な逆転技、それが吉村道明の「回転エビ固め」です。昭和のプロレスリング時代を象徴するこの技は、数多くの勝負で見せた逆転のドラマで多くのファンを魅了しました。
吉村道明というレスラーのキャラクター、技の繊細さと戦略、そしてその技が織り成す試合の構築について深掘りしていくことで、私たちは昭和プロレスが今日のプロレス業界にどのような影響を与え続けているのかを解析します。
この記事では、かつて日本プロレスで活躍した 吉村道明 選手 の脇役に徹した戦い方と彼の得意技 回転エビ固め について昭和の時代を背景に私独自の視点で考察しています
吉村道明とは
当時の日本プロレス
プロレスファンのなかでも 吉村道明 をご存知の方は昭和期の日本プロレスファンの方だと思います。
吉村は力道山にスカウトされ、 脇役的な立場ながら軽快な身のこなしから繰り出すローリングクラッチホールドを武器に活躍しました。 ローリングクラッチホールドとは和名 回転エビ固め のことです。
相手の技を受けるのがうまく プロレスの神様 カール・ゴッチが来日した時にも対戦相手を勤めています。
カール・ゴッチの必殺技であるジャーマン・スープレックスを日本で最初に食ったのは吉村道明であった。なおゴッチは吉村を力道山より上だと評価しており、初来日の1961年に13回・2度目の1966年に1回対戦した。戦績は吉村の1勝3敗9引分1ノーゲームで、ゴッチから2フォール勝ちを奪った唯一の日本人レスラーである。 ※ Wikipedia より
戦績はさておいても、カール・ゴッチ相手に試合を組み立てられるのは吉村道明以外には見当たりません。
力道山の引き立て役を務めるのは立場上いたしかたないことでしょう。しかし、後にスター選手候補として売り出すジャイアンと馬場、アントニオ猪木の引きたて役に徹したことにも吉村道明の奥深さを感じます。
やられ役を受けることも多く、外人レスラーから流血戦に持ちこまれ顔面を真っ赤にして戦った試合は数知れません。「火の玉小僧」とゆうニックネームがつけられたのもこのような背景からです。
ちなみに、吉村道明やG馬場、A猪木と共に日本プロレス四天王と言われた大木金太郎がエース候補のG馬場、A猪木を引き立てられず衝突しがちだったのは、性格にも対象的であることの現われです。そんな、吉村道明の奥深さを試合の形式からも考えてみましょう。
※ 画像は東京スポーツ新聞社より
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試合形式で考える吉村道明
タッグマッチ
タッグマッチでは引きたて役と売り出すためのスター選手としての役割りがはっきりさせやすいですね。
G馬場、A猪木とのタッグマッチもさることながら柔道界から颯爽とデビューしスター候補として売り出したい坂口征二とのコンビでもアジアタッグ選手権を獲得しました。
60分3本勝負
昭和当時の試合は60分3本勝負で行われる形式が多くありました。引きたて役である吉村道明の位置を考えてみましょう。
一本目は外人レスラーに吉村が徹底的に痛めつけられ一本を失います。その後日本側のスターレスラーが二本目を取り返します。最後の三本目に吉村道明が血だるまになりながら逆転の回転エビ固めで日本側に勝利をもたらします。
これぞ、昭和の日本人の気質を良くとらえた試合展開ですね。
それをうまく演じきった吉村道明は名レスラ-といって良いのだと思います。
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